2020年町内行事のお知らせ


令和2年1月19日(日):定期総会 

令和2年6月7日(日) :川掃除 8:00~  


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令和元年度総会委任状.pdf
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七条町の特色&魅力



七条町まるわかりMAPです。(七条町まちづくり委員会が作成されました。)


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七条まるわかりMAPです。
七条町まちづくり委員会で作成されました。これをみれば七条町が文字どおり丸わかりです。
panfmap777.pdf
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最後の能舞台

 七条町は古くから能、狂言が演じられており、能舞台はもちろん、衣装も含め町民だけで演者や謡曲、つつみ等の囃子方のすべてのスタッフが揃っていました。

 画像は最後の能舞台となりました昭和12年の「竜虎」です。

(七条町まちづくり委員会作成)

春祭(市無形文化財)

 毎年五月五日になると、長浜市七条町の鎮守足柄神社では春の例大祭が賑々しく催されます。このお祭りの呼び物には、「センザキョウ」の掛け声とともに若い衆によって担がれる勇壮な神輿の渡御と、子どもたちが鎧をまとって練り歩く武者行列があるのですが、それと共に、御旅所からの渡御を終えた神輿が足柄神社の境内に入る際に、能面をかぶった「尉(ジョウ)」と「姥(ウバ)」の二人が獅子を伴って神輿を鳥居まで出迎えるという印象的なシーンが見られるのも興味深い祭りです。実は七条の地と能面とには、昔からの縁で結ばれた深い関係性があるのです。続きを読む・・クリック

能面の里 イセキの能面

面打ちとしての井関家は、初代の上総介親信から二代次郎左衛門(親政)、三代備中掾(家政もしくは家久)、そして四代河内大掾家重へと受け継がれ、この四代家重の時に江戸へ移り住むのですが、七条に住んだ初代から三代までの井関氏は、特に「近江井関」と呼ばれています。続きを読む・・・・←クリック



湖北唯一の昭和劇場

昭和クラブ跡】

 当時の人々にとって随一の娯楽施設であった劇場『昭和クラブ』は、1937(昭和12) 年~1938(昭和13)年にかけて、木造2階建建築として完成、オープンした。南向きであった。観客収容総数200人位で、廻り舞台も備わっていた。芝居だけでなく、トーキー映画もしばしば上映されていたが、戦後まもなく取り壊された。

(長浜市農業文化遺産総合調査より抜粋)

画像は昭和12年5月24日の上棟式 (写真提供・戸田豊氏)

館主  株式会社 昭和倶楽部

                       施工  戸田安吉 氏

                       棟梁  萩永茂一 氏 

                             (七条町まちづくり委員会作成)


謡曲の大師匠 田中藤内顕彰碑  江戸末期に活躍

【田中藤内顕彰碑(田中先生碑)】

 江戸末期頃、謡曲の師匠として活躍したと伝えられる田中藤内先生の碑は、氏の死後、門弟らによって建てられたものです。碑文を現代文に直してみると、おおよそ以下のような内容が書かれてあります。
 『田中先生は通称藤内といい、諱は正胤、句名は松濤館采という。弘化三年(1846)正月にこの地に生まれた。
若い頃しばらく京都の観世流能楽の大家片 山普三の門に学び、よくその音調はすばらしく、ひとたび聞けばだれでも歎賞した。またその人となりは温厚で、その門弟を愛するさまは、母親が赤子を愛する 如くであった。多くの人々がその徳をしたい、その感化をうけた。また和歌俳諧発句、活花なども上手であった。年八〇才をすぎてもかくしゃくとして健康で あった。もとから深く仏門に帰依し、晩年におよんで髪をそって堯照と名のった。ここに門弟が相談して碑を建てその厚徳を後世につたえようとするものである』 画像の説明板と田中氏説明文は「七条町まちづくり委員会が作成」


昭和10年ごろ七条町日の出楽団です。

当時長浜では七条町日の出楽団が有名であった。

七条町づくり委員会作成

 

 


七条町の概要は「スタジオ湖北」でも紹介されました。

2012(平成24年)年9月12日 生放送 「長浜の能文化を知ろう!!」 

詳しくはここをクリックしてください。


”おもいやり”と

 ”絆”のある町で

ありますように!!

  長浜市七条町 東・中・西町自治会 (七条会館)

  〒526-0817

  滋賀県長浜市七条町703

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  E-mail: 7chijyou777shiga@gmail.com